最近写真について考える機会が多くなりました。
写真を撮ることに何の意味があるか、そして本当の楽しさとは何かということ。
最近は新型コロナウイルスによる外出自粛。以前より写真を撮る機会が減った人がほとんどだと思います。僕も例外なくその一人。
写真を撮りに外出はしないし、そのことによってブログは書かないし。
それによって何が悪いかというと、特に悪いことは正直言うと無いんです。だけど何か毎日の充実感が減ったようなそんな気がする。
ブログも何のために書いているかと考えてみると、少しでも役立つかなとか他人の事を考えている点もあるけれど、ほとんどは自分の学んだことをアウトプットする場、自分の記憶を留めて置く場所。つまりはほとんどが自分のため。
それでも良いのか悪いのか、でもなんか自分では満足している感じです。
そんなブログ論はおいといて、写真の意味について考えてみました。
僕にとって写真とは生活に寄り添ったとても大事なもの。そして何のために撮るか考えたときに以下の3つの要因があるように感じます。
1つはカメラという機械で写真を撮るという行為自体が楽しいしわくわくするから。カメラという道具で写真を撮り、自分の設定次第で風景ががらっと変わるっておもしろいですよね、発明した人本当にすごい。
これは単純にカメラ好きで、撮影が楽しいってことでカメラ本来の楽しみといえるのかもしれません。
カメラにはデジタルとフィルムがあり、特にフィルムで撮った方がそれを感じます。以前もフィルムの魅力を何度も語ってきましたが、フィルムをセットしてから設定をいじってシャッターを切って、現像するまでのすべての作業がデジタルの便利さとは異なって魅力的なんですよね。
できることなら僕もずっとフィルムで撮り続けたいけど、シャッターチャンスの問題とか画質の問題とか、一番はコストの問題とかありますから。
フィルム1本あたりの価格も値上がりしていて、1000円近くとかもっと高いものとかあって、さらには現像のお金。あまり現実的ではないんですよね。お金ががかかる趣味だなといつも感じています。
でもそれを含めても魅力は多いので、今はデジタルメインでフィルムも時々使用してカメラの楽しさを感じながら写真を撮る、というようなことをやっています。
僕にとってベストな選択は、メインでデジタルを使い日常の何気ない瞬間をとらえるためにいつもコンパクトなフィルムカメラを持ち歩くというもの。このあたりの使い分けはいろんな考え方があると思うのでいろんな人の意見も聞いてみたいです。
2つ目は写真を残しておくため。日常に流れている風景は記憶として頭の中に残ってもそれを写真や動画で切り取らないと本当の意味で残ることはありません。一瞬しかない光景を残すためにカメラは最高の道具です。
後から振り返ったり、自分の記憶を強く残しておくためにも一瞬を切り取る写真というのを僕は大事にしています。
その点風景写真よりもスナップ写真が好き。スナップの方が二度と起こらない一瞬を撮れるから。
風景もそういう面もありますが、時間によっての変化がそれほど大きくないこと、また多くの人の切り口が似ていて、独自性が薄くなってしまう気がするんですよ。だけれどその風景写真で自分の世界観を出していけたらそれはすごいことで僕も将来はそういう写真を目指していければと思います。
最近はYoutubeが発展していて、多くの動画がアップされています。光景を残すという点では動画の方が優れていると思いますが、僕はやりません。
それは1つ目でも言ったようにカメラが好きで設定をいじって一枚に込めるというカメラの在り方が好きだからです。単に技術が無いというのも一つの理由です。
3つ目は写真は自分と向き合う時間だと感じます。
ここ最近の自粛生活で充実感が少し減っているのはこのことが影響しているからかもしれません。写真を撮るときっていろんなことを考えますよね、ファインダーから見る光景は普段目で見るものと全く違った見え方をするものです。ランニングや瞑想などと近いような感覚かと思います。
どう切り取ろうかと考えている時間が僕にとってはすごく大事なのかもしれません。写真を撮ってきて家に帰って写真を眺めているときも、何かすごく充実感のような感じがします。
写真を職業としてない人にとっては写真の意義を見出すのは簡単なことではないかもしれません。
だけど写真っていいものですよ、少しでも撮る意味を感じる人はやるべきだと思います。自粛生活で撮影頻度が極端に減る中で改めてそう感じています
最後に、この写真とアイコンの写真は久しぶりに外出して撮った写真です。
夕日に照らされる植物と湖を見ながら、いろんな考えが巡り、今後の展開や写真についていろいろ考えていました。